剱神社は、鹿児島県霧島市国分敷根に位置する神社です。現在は「剣神社」と表記されることが多いですが、歴史的には「剱神社」として知られていました。
剱神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神とし、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、剱彦神、大臼命、小臼命(日本武尊)、太玉命、菅原道真公を配祀しています。これらの配祀神は1910年(明治43年)に他の神社から合祀されました。
古くは、剱岩(つるぎいわ)の頂上に石祠があり、拝殿はその麓にあったと言われています。この剱岩の名の由来は、日本武尊が熊襲(くまそ)征伐の際に熊襲の動向を探るために登り、剣を抱きながら野営したという伝説に基づいています。
剱岩はかつて勇壮な岩山として知られていましたが、高速道路トンネルの工事により、その姿は削り取られてしまいました。延宝元年(1674年)12月には現在の地に遷宮され、以後、神社はこの地で信仰を集めています。
この地を領していた敷根氏が天満宮(天満天神)を深く崇敬していたため、剱神社は一時荒廃しました。しかし、後に島津義久が山田利安に命じて再興させ、その記録が「神社明細帳」や「剱神社由緒記」に残されています。
1910年(明治43年)10月25日には、兵主神社、菅原神社、太玉神社、蛭子神社が剱神社に合祀されました。それぞれの神社について以下で詳しく説明します。
兵主神社の祭神や由緒については不詳ですが、姶良郡敷根村浜字節田に鎮座していました。瓦葺の本殿と舞殿がありましたが、現在は現存していません。氏子は72戸であったとされています。
菅原神社は菅原道真公を祀っており、敷根村麓字節句田に鎮座していました。社殿は瓦葺の本殿と舞殿、橋殿がありましたが、現在は残っていません。氏子は32戸であったと記録されています。
太玉命を祀る太玉神社も敷根村麓字節句田に鎮座していましたが、由緒については詳細が不明です。こちらも瓦葺の本殿、舞殿、橋殿を有していましたが、現在は存在していません。氏子は42戸でした。
蛭子命を祀る蛭子神社は、敷根村浜節句田に石の祠がありましたが、現在はコンクリート製の祠に置き換えられています。氏子は浜町部落で73戸に及びました。
剱神社では毎年「神幸祭(しんこうさい)」が行われています。この祭りは「御下り」とも呼ばれ、真夏に悪疫が流行した際、町中を巡幸してお祓いを行ったことが起源とされています。この巡幸によって悪疫の流行が止まったことから、以後、悪疫退散と健康を祈願する夏の祭りとして定着しました。
その他にも、毎月1日と15日の午前6時には月次祭が執り行われ、地域の人々に親しまれています。
剱神社の境内には、かつて剱岩がそびえていました。剱岩は神社の象徴的な存在であり、日本武尊の伝説が今も語り継がれていますが、前述の通り現在はその一部が失われています。