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南洲神社

(なんしゅう じんじゃ)

南洲神社は、鹿児島県鹿児島市上竜尾町に鎮座している神社です。この神社は、西南戦争で戦死した西郷隆盛命をはじめとする薩摩軍の戦没者6800柱を祀っており、歴史的な意義が非常に高い場所です。旧社格は無格社で、隣接する南洲墓地には西郷隆盛の遺体が埋葬されています。

南洲神社の概要

南洲神社は、鹿児島市の歴史的な場所であり、西郷隆盛と西南戦争に深く関わっています。西南戦争の際、薩摩軍の多くの兵士がこの地で命を落としました。彼らの霊を祀るため、この神社が建立されました。西郷隆盛は薩摩の英雄として尊敬されており、その偉業を称えるために、多くの参拝者が訪れます。

祭神

南洲神社の祭神は、西郷隆盛命および西南戦争における薩摩軍の戦没者たちです。西郷隆盛は薩摩藩の指導者であり、日本の近代化に多大な貢献をした人物です。神社では、彼の勇敢な精神と戦没者たちの霊を鎮め、参拝者が彼らの偉業を偲ぶ場所として機能しています。

南洲神社の歴史

神社の創建の経緯

西南戦争が終結した明治10年(1877年)、薩摩軍の総指揮を執っていた西郷隆盛は最期を迎えました。その後、西郷隆盛や薩軍の遺体は鹿児島市内に仮埋葬されましたが、明治12年(1879年)に有志によって、現在の場所である旧浄光明寺の跡地に改葬されました。その後、九州各地に散在していた西郷軍の遺骨も集められ、計2023名の戦没者が葬られた「南洲墓地」が形成されました。

神社の発展

明治13年(1880年)、西郷隆盛の墓を訪れる参拝者が増加したことに伴い、南洲墓地の隣に参拝所が設置されました。その後、大正11年(1922年)に「南洲神社」として正式に認定されました。第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)には戦災で焼失しましたが、昭和25年(1950年)に再建されました。また、昭和53年(1978年)には、西郷南洲顕彰館が隣接地に建設されました。

南洲神社の分社

南洲神社には分社があり、日本国内の複数の場所に西郷隆盛を祀る同名の神社が建立されています。代表的な分社には、山形県酒田市、宮崎県都城市、鹿児島県和泊町の沖永良部島にあります。

山形県酒田市の南洲神社

山形県酒田市にある南洲神社は、昭和51年(1976年)に建立されました。これは、西郷隆盛が戊辰戦争の戦後処理で、酒田の人々に対して寛大な措置をとったことに由来します。社殿は総檜造りで、銅板葺きの壮麗な建物です。西郷に関連する資料や遺品が保管されており、歴史的価値の高い場所です。また、西郷の教えを伝える書籍『南洲翁遺訓』もこの地で出版されています。

宮崎県都城市の南洲神社

宮崎県都城市にも西郷隆盛を祀る南洲神社があります。昭和4年(1929年)に建立され、当初は諏訪神社の社殿が移築されましたが、昭和53年(1978年)に焼失しました。その後、昭和55年(1980年)に再建されました。この神社は、西南戦争に参加した庄内郷出身の戦没者56名も祀られています。

鹿児島県和泊町沖永良部島の南洲神社

鹿児島県和泊町の沖永良部島にも南洲神社があります。これは、西郷隆盛が島津久光によって沖永良部島に流刑された際、彼の教えや事績に感謝する島民たちが明治35年(1903年)に建立しました。この島での西郷の活動や、島民との交流を記念する神社となっています。

アクセス情報

南洲神社へは、鹿児島市内の交通機関を利用して訪れることができます。鹿児島市営バス、鹿児島交通、南国交通、JR九州バスの「天文館」バス停から徒歩約10分、または鹿児島市電の「天文館通」電停からも徒歩約10分の距離にあります。

まとめ

南洲神社は、鹿児島市にある歴史的な神社であり、特に西郷隆盛や西南戦争に深く関わる場所です。南洲墓地とともに、歴史的な意義が非常に大きいこの神社は、鹿児島を訪れる際にぜひ立ち寄りたい場所です。また、全国各地に分社があり、西郷隆盛の教えや偉業が広く伝えられていることから、多くの人々にとって大切な参拝場所となっています。

Information

名称
南洲神社
(なんしゅう じんじゃ)

鹿児島市・桜島・霧島

鹿児島県