鹿児島県 » 鹿児島市・桜島・霧島

甲突川

(こうつきがわ)

甲突川は、鹿児島県の薩摩半島を流れる二級河川であり、甲突川水系の本流です。この川は鹿児島市を縦断し、鹿児島湾(錦江湾)に注ぎます。歴史的にも、鹿児島城の外堀として重要な役割を果たしてきました。また、災害の歴史も多く残されており、その影響が今なお感じられる地域です。

地理と源流

甲突川は、鹿児島市郡山町にある八重山(標高676.8メートル)の中腹に位置する「甲突池」から始まります。そこから南東方向に流れ出し、鹿児島市内を南北に分断する形で錦江湾に流れ込みます。この流域には、鹿児島の自然豊かな風景が広がり、市街地に入ると街の中心部を流れる重要な水源として機能しています。

鹿児島城と甲突川

甲突川は、鹿児島城が築かれた際にその外堀として位置付けられました。この川は、城を守る防御の一部としても利用され、地理的にも重要な場所にあります。鹿児島城と甲突川の関係は、城の歴史を語る上で欠かせない要素となっています。

災害の歴史

甲突川流域は、シラス台地という特徴的な地形により、土砂が流れ込みやすく、水害の危険が高い地域です。過去にはさまざまな災害が発生しており、その中でも特に有名なものをいくつか紹介します。

1883年:クラカタウの津波

1883年8月、現在のインドネシアにあるクラカタウ火山が大噴火し、その際に発生した津波が甲突川にも押し寄せました。この津波は鹿児島湾を通じて甲突川まで到達し、多くの被害をもたらしました。

1993年:8.6水害

1993年8月6日、梅雨前線による豪雨で大規模な水害が発生しました。この水害では、甲突川の流域で12,000戸以上の家屋が浸水し、五石橋と呼ばれる石橋のうち2つが流失しました。この時の災害は「8.6水害」として知られており、甲突川の災害史においても特に大きな出来事です。流出を免れた3つの石橋は現在、石橋記念公園に移設保存されています。

甲突川に架かる主な石橋

甲突川には歴史的な石橋が数多く架けられていましたが、8.6水害以降、いくつかの橋が保存のために移設されました。以下は、甲突川に関連する主要な石橋です。

玉江橋

かつて石橋だった玉江橋は、1993年の水害で流失し、その後再建されました。現在では石橋記念公園でその一部が保存されています。

高麗橋

高麗橋も同様に、1993年の水害前は石橋として存在していましたが、現在は石橋記念公園でその姿を見ることができます。

西田橋

西田橋もまた、8.6水害以前は甲突川に架かる石橋でした。現在では石橋記念公園に移設され、歴史的な遺産として保存されています。

主な支流と橋梁

甲突川にはいくつかの支流が流れ込み、それらも地域の河川ネットワークを形成しています。主な支流としては、山崎川、花野川、雑田川、油須木川があります。また、甲突川には多くの橋梁が存在し、日常生活や交通において重要な役割を果たしています。以下はその一部です。

主な橋梁

流域の観光地

甲突川の流域には、鹿児島の歴史と自然を感じることができる観光地が多く存在します。以下は、主な観光スポットです。

かごしま健康の森公園

市民の健康増進を目的とした大規模な公園で、自然の中でリフレッシュできる場所です。

大久保利通像

維新の三傑の一人、大久保利通を称える銅像が建てられています。彼の歴史を感じることができる場所です。

維新ふるさと館

鹿児島の偉人たちの業績を学べる博物館であり、地域の歴史と文化に触れることができます。

甲突川五石橋

かつて甲突川に架かっていた五つの石橋の一部が、石橋記念公園に保存されています。歴史的な価値のあるこの橋は、観光客にも人気のスポットです。

まとめ

甲突川は、鹿児島の歴史と自然を象徴する重要な河川です。災害の歴史や、石橋の保存といった文化財としての側面も持ちながら、地域の人々の生活に深く関わっています。また、観光地としても多くの魅力を持ち、訪れる人々に鹿児島の歴史と風景を楽しませています。甲突川は、今後も地域の大切な資産として守り続けられるべき存在です。

Information

名称
甲突川
(こうつきがわ)

鹿児島市・桜島・霧島

鹿児島県