有村溶岩展望所は、桜島火山の南岳の南側に位置する有村町にあり、国道224号に接しています。入場は無料で、大正溶岩原に作られた展望所です。全長約1kmの遊歩道があり、一面に広がる溶岩原とそこに根を張るクロマツが見え、円錐形の南岳だけでなく、鹿児島湾とその向こうまで一望できます。
展望所内には以下の歌碑が設置されています。
有村町(ありむらちょう)は、鹿児島県鹿児島市の町で、旧大隅国大隅郡桜島郷有村、鹿児島郡東桜島村大字有村に属しています。
有村町は鹿児島市の東部に位置し、活火山である桜島の南東部にあります。安永・大正・昭和に発生した桜島の噴火によって、噴出した溶岩流で集落全体が埋没するなど、甚大な被害を受けてきました。
1914年(大正3年)の桜島の大正大噴火までは、東桜島村の中心地であり、役場や郵便局、巡査駐在所、小学校が置かれていました。しかし、大正大噴火により集落全体が溶岩に埋没し、多くの住民が集団移住しました。また、噴火によって飛来する噴石による被害が多発した昭和60年代にも多くの住民が他の地域へ集団移住しました。
有村町は1950年(昭和25年)10月1日に東桜島村が鹿児島市に編入された際、それまでの大字有村及び大字脇の全域をもって新たに鹿児島市の町として設置されました。本項では有村町の一部となっている大字「脇」(わき)についても述べます。
有村町は桜島の南東部に位置し、町域の半分以上が大正溶岩および昭和溶岩に覆われています。町域の北方から東方にかけては黒神町、西方には古里町及び東桜島町に接し、南方は鹿児島湾に面しています。町域の南端を国道224号が海岸線に沿って東西に通っています。
有村町のほぼ全域が桜島の昭和火口および南岳山頂火口から半径3キロメートル以内に位置しており、北西部を含む区域は警戒区域に設定されています。2020年現在、災害対策基本法第63条の規定に基づき、鹿児島市長によって立ち入りが禁じられています。また、有村町の全域が避難施設緊急整備地域に指定されています。
有村町の全域は霧島錦江湾国立公園の区域に指定されており、特別保護地区や特別地域が設定されています。
「有村」という町名には、平家の一族がこの地に住み着いたことを発見した武士が、この地に村があることを知ったという説や、江戸時代より温泉が湧く別荘地であったことから名付けられたという説があります。
有村溶岩展望所からは噴煙を上げる桜島が望め、有村町には桜島からの火山灰が多く飛来します。観測地点「有村」における1978年(昭和53年)から1992年(平成4年)までの火山灰の降灰量は以下の通りです。有村町は桜島の火口の南東に位置し、大量の火山灰が記録されています。1984年(昭和59年)の年間降灰量は1平方メートルあたり59キログラムでした。
有村という地名は室町時代より見られ、大隅国向島のうちでした。嘉吉2年(1442年)の島津持久宛行状に「嶋津庄大隅方溝辺六町・同城并向嶋内有村事」とあり、本田氏にあてがわれたとされています。
江戸時代の有村は大隅国大隅郡桜島郷(外城)の一部であり、薩摩藩主島津氏の別荘がありました。また、脇村は江戸時代から見られる地名で、有村と同じ桜島郷に属していました。
1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、桜島の東半分の区域にあたる複数の村が合併し、東桜島村が成立しました。それにより、有村と脇はそれぞれ東桜島村の大字となりました。
1897年(明治30年)、北大隅郡が鹿児島郡に統合され、東桜島村は鹿児島郡に属することとなりました。有村には東桜島村役場、郵便局、巡査駐在所が設置され、交通手段としては鹿児島湾内汽船の松濤丸などが運航していました。