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坂元のくろず

(さかもと 黒酢)

陶器の壺で1年以上かけじっくり発酵、熟成させた本場・本物の味

美容に健康によいと大注目の黒酢。その故郷は霧島市の福山町で、江戸時代から200年以上続く伝統製法で黒酢が造られている。海の向こうに桜島を望む丘陵地に広がる約5万本もの信楽焼で作られた壺が並ぶ一面の壺畑。この壺に米麹、蒸し米、地下水を仕込み、1年以上じっくり自然発酵・熟成させたものが本場の黒酢。まろやかでコクのある風味は、良質な原料米から生まれるアミノ酸、有機酸などによるもので、長期間の熟成によりさらに味わい深いものになっている。また、霧島に行ったらぜひ、このくろず壺畑見学をおすすめしたい。

鹿児島県霧島市の福山町は長い歴史を持ち、良質な水と風土に恵まれた場所。樹齢1000年を超える夫婦イチョウは、福山町のシンボルの一つです。江戸時代後期(1800年頃)から、この地で壺を使った米酢造りが始まり、「坂元のくろず」を製造している「坂元醸造」もこの時期に米酢造りを開始し、現在も伝統製法を守り続けています。

福山町は三方を丘に囲まれ、南方は海に面しています。冬は暖かく、夏も海からの風で比較的涼しく、年間を通して温暖な気候です。また、この地域には約29,000年前に形成された姶良カルデラの壁があり、中腹には豊富な地下水が蓄えられています。この水は薩摩藩時代に「廻(めぐり)の水」と呼ばれ、藩内随一の名水とされていました。

江戸時代、福山町は交通の要衝であり、福山港は米の集散地として栄えていました。薩摩藩への上納米は全てこの地に集められ、鹿児島方面へ運ばれていました。また、藩内には「薩摩焼」として知られる窯元があり、黒酢造りに必要な「壺」が身近にありました。このように、「地下水」「米」「壺」が揃った福山町は黒酢造りに最適な場所でした。

大正から昭和初期にかけて、安価な合成酢が普及し、黒酢は衰退し始めました。さらに戦争による米不足で、福山各地の醸造所は次々と転業を余儀なくされました。そんな中、坂元醸造では原料をサツマイモに代え、黒酢の製法を守り続けました。

坂元醸造は江戸時代からの伝統を持つ沈壽官窯の薩摩焼の壺を約52,000本も所有していて、10箇所の壺畑に並んでいます。壺には様々な微生物が住み着いています。除草剤や洗剤を一切使用せず、微生物が住み着きやすい土壌づくりをしています。

黒酢の原料は「蒸し米」「米麹」「地下水」の3つだけです。自社で米麹を作り、原料の米は鹿児島県産のうるち米、一部は自社農園で栽培しています。黒酢製法は、江戸時代から続く伝統製法を守り続けています。一つの壺の中で糖化、乳酸発酵、アルコール発酵、酢酸発酵が連続的に行われるこの製法は、福山町でしか見られない世界でも類を見ないものです。1年から5年もの長い時間をかけて発酵・熟成させることで、琥珀色とまろやかでコクのある味わいが生まれます。

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坂元のくろず
(さかもと 黒酢)
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