照国神社は、鹿児島県鹿児島市照国町に位置する神社で、薩摩藩の第11代藩主であった島津斉彬を祭神として祀っています。この神社は、旧社格においては別格官幣社に位置付けられており、江戸時代後期から明治時代初期にかけて流行した藩祖を祀る神社のひとつです。
照国神社は、島津斉彬を祭神としており、その神徳を広く讃えています。神社は、鹿児島市の中心部に位置しており、観光名所としても人気があります。毎年、多くの参拝者が訪れ、島津斉彬の功績を称えつつ、平和と繁栄を祈願しています。
照国神社の拝殿は、参拝者が神々へ祈りを捧げる場所です。また、立派な神門が参道を守り、荘厳な雰囲気を醸し出しています。境内は広く、美しい庭園が整備されており、訪れる人々を静かで厳かな雰囲気に包みます。
照国神社の祭神である島津斉彬は、薩摩藩第11代藩主として知られ、藩の近代化や開国を推進した人物です。彼はまた、明治維新における重要な役割を果たし、薩摩藩が新時代に向けて大きな影響を与えるきっかけを作りました。島津斉彬の功績を讃えるため、彼は「照国大明神」として神格化されました。
照国神社の創建は、文久2年(1862年)にまでさかのぼります。この年、島津斉彬の弟である島津久光と甥の島津忠義によって、鹿児島城内の南泉院郭内に社地が選定されました。そして翌年、孝明天皇の勅命によって「照国大明神」の神号が授けられ、祠が造営されました。
元治元年(1864年)には、東照宮が建てられていた地に社殿が新たに造営され、神社としての体制が整いました。この頃から照国神社として広く知られるようになり、島津斉彬を讃える場所として多くの人々が参拝に訪れるようになりました。
明治6年(1873年)、照国神社は県社に列せられ、その後、明治15年(1882年)には別格官幣社に昇格しました。この昇格は、島津斉彬の功績と薩摩藩が果たした役割が国から認められた結果です。また、照国神社は妙円寺詣りの出発地としても知られています。
照国神社では毎年旧暦6月16日に「六月灯」が開催されます。六月灯は鹿児島県下の多くの寺社で行われていますが、照国神社の六月灯は最大規模を誇ります。この祭りには多くの参拝者が訪れ、賑やかな雰囲気の中で斉彬公の功績を称えます。
照国神社の境内には、島津斉彬公を祀る銅像が建てられており、また、彼の弟である島津久光や甥の島津忠義の銅像も並んでいます。これらの銅像は、島津家の歴史と功績を後世に伝えるための重要なシンボルです。
照国神社には、島津斉彬に関連する書簡などが所蔵されており、これらは併設されている宝物館で展示されています。中でも、特筆すべき文化財は国宝に指定されている「太刀 銘国宗」です。この太刀は、鎌倉時代の備前国の刀工・三郎国宗の代表作であり、昭和2年(1927年)に島津家から神社に寄進されました。
この太刀は、第二次世界大戦後にGHQによって没収され、長らく所在不明となっていましたが、昭和38年(1963年)にアメリカ合衆国で競売にかけられた後、愛刀家のウォルター・コンプトンの厚意により無償で神社に返還されました。現在、この太刀は鹿児島県歴史資料センター黎明館に寄託され、展示されています。
照国神社は、鹿児島中央駅または鹿児島駅からアクセスが可能です。鹿児島市電2系統または路線バスを利用して「いづろ通」または「朝日通」で下車し、徒歩数分で到着します。また、国道3号や国道10号、国道225号が交差する「照国神社前交差点」から徒歩1分の距離にあり、アクセスが非常に便利です。
神社周辺は交通の便が良いため、観光客や地元の方々が気軽に参拝に訪れることができます。鹿児島市内の主要観光地とも近く、多くの人々が照国神社を訪れる機会を得ています。
無休
鹿児島中央駅からバスで10分 *天文館で下車。 → 天文館から徒歩で5分