高千穂峰(たかちほのみね)は、宮崎県と鹿児島県の県境に位置する標高1,574メートルの火山です。霧島連峰の第二峰であり、日本二百名山の一つにも数えられています。この山は霧島錦江湾国立公園に指定されており、美しい山容を持つ典型的な成層火山です。高千穂峰の周辺には、活火山である御鉢(おはち)や二ツ石などの寄生火山が見られます。
高千穂峰は宮崎県の小林市、西諸県郡高原町、都城市の境界部に位置し、鹿児島県霧島市(旧姶良郡霧島町)が御鉢西斜面と火口内縁部分に入り込んでいます。山頂部は宮崎県西諸県郡高原町に属しており、御鉢西斜面内凹縁線と御鉢火口内縁線そのものが宮崎・鹿児島両県の県境を形成しています。
霧島連峰の第一峰である韓国岳が山塊中の一峰として存在するのに対し、高千穂峰は都城盆地などの平野部から直接望むことができ、しばしば雲海の中に浮かぶ島のように見えることから、霧島の名の由来ともされています。高千穂峰は天孫降臨神話の地ともされ、山頂には霧島東神社の御神体である青銅製の天逆鉾が立てられています。
高千穂峰は更新世の安山岩で構成された比較的新しい火山であり、山頂部は溶岩ドームを形成しています。また、御鉢は直径約550メートル、深さ約200メートルの火口を持ち、過去にも噴火を起こしている活火山です。東麓には火山湖である御池(みいけ)が広がり、この周辺にはヤイロチョウやブッポウソウといった野鳥が飛来します。
火山活動が繰り返されるため、高千穂峰の土壌は貧弱で、特に活発な火山活動が続く御鉢周辺は荒れ地や草原が広がっています。北側および東側の植生は標高に応じて変化し、400メートルから700メートルではイスノキとウラジロガシ、700メートルから1,000メートルではコガクウツギとミズナラ、1,000メートルから1,500メートルではキリシマヒゴタイとニシキウツギの林が見られます。高山帯にはミヤマキリシマやマイヅルソウなども生息しています。
一方、南側山腹は主にスギやヒノキ、アカマツなどの人工林が広がり、東側山腹にはイチイガシの林が見られますが、これも植林されたものと考えられています。
高千穂峰は、天照大神の孫であるニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が葦原中国を統治するために降臨した山とされています。日本書紀には「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」と記されており、この「襲国(曽国)」は古代南九州の熊襲や隼人と呼ばれる人々の本拠地とされています。
山頂にはニニギノミコトが突き立てたとされる青銅製の天逆鉾があり、霧島六所権現として信仰の対象となっていました。霧島神宮は高千穂峰と御鉢の間にあった社殿から始まり、度重なる噴火によって麓に遷されました。
高千穂峰は登山の難易度が高いことで知られています。特に山頂に近づくにつれて斜面が急になり、石が多く転がるため、登山には十分な準備が必要です。新燃岳噴火の影響で一時期登山が禁止されていましたが、2012年7月15日から再び解禁されました。山頂近くでは御鉢火口縁が登山道となっており、風の強い日には火口へ滑落する危険があるため、トレッキングポールの持参が推奨されます。
霧島山系の火山活動により、状況次第では登山が規制されることもあります。そのため、登山前には気象庁の噴火警報・予報や鹿児島県霧島市の防災情報を確認しておくことが重要です。また、山頂には1925年に設置された避難小屋があり、現在も風雨や雷を凌ぐことができますが、老朽化が進んでいるため注意が必要です。
高千穂峰の山頂には、「高千穂峰山頂避難小屋」が設置されています。この避難小屋は1925年(大正14年)に個人によって建てられたもので、現在でも常時開放されています。しかし、老朽化が進行しているため、利用する際には注意が必要です。それでも、雷や風雨をしのぐには十分な機能を果たしているとされています。
高千穂峰は古くから文化や歴史に深く根付いています。例えば、坂本龍馬が妻お龍とこの地を訪れた際に、天逆鉾を引き抜いたという逸話は有名です。この出来事は、龍馬が姉乙女に宛てた書簡にも記されており、これが「日本初の新婚旅行」として語り継がれています。また、『紀元節の歌』(作詞:高崎正風)の中でも「雲に聳ゆる 高千穂の」と高千穂峰が詠まれ、その威容が讃えられています。
高千穂峰への登山を計画する際は、天候や火山活動の状況を十分に確認することが重要です。特に火山活動が活発な場合、登山が禁止されることがありますので、最新の情報を気象庁や地元の防災機関から取得しておくことをお勧めします。霧島山系を訪れる際には、トレッキングポールや防寒具、十分な水分と食料を用意し、安全に配慮した準備を行いましょう。