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武家屋敷通り(南九州市)

(ぶけやしき どおり)

武家屋敷通りは、鹿児島県南九州市知覧町郡に位置する歴史的な道路です。正式な路線名は南九州市道城馬場線(しろばばせん)で、一般には「武家屋敷通り線」として親しまれています。この通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、長さ約0.8kmにわたる侍町を東西に貫いています。かつては、薩摩藩が藩政を行っていた時代に鹿児島への交通路として利用されていました。

「薩摩の小京都」知覧の魅力

知覧は「薩摩の小京都」として知られており、その歴史的背景には薩摩藩(島津家77万石)が重要な役割を果たしています。徳川幕府時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、それぞれに地頭や領主の屋敷を中心とした「麓」と呼ばれる武家集落を形成しました。この「麓」は、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治を行うためのものでした。

知覧はその外城の一つであり、特に重要な役割を果たした場所です。第十六代領主佐多久達の時代には、島津姓の使用と私領地化が許され、現在に残る城塁型の区画が形成されました。現在見られる武家屋敷群は、第十八代領主島津久峰の時代に整備されたもので、折れ曲がった本馬場通りに沿って続く石垣や生垣に、その歴史の名残が感じられます。

武家屋敷通りの歴史と文化

武家屋敷通りは、1981年(昭和56年)11月に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。この指定により、知覧の歴史的建造物や景観が保存されることとなり、地域の文化遺産としての価値が高まりました。武家屋敷通りには、名勝庭園として国の指定を受けた武家屋敷が並び、その石垣やイヌマキの生け垣が特徴的です。これらの庭園は、約700メートルにわたって続く集落を形成しています。

また、南九州市が誕生する以前の知覧町の時代から、行政と地域住民が一体となり、歴史的建造物や景観の保全に努めてきました。この取り組みの一環として、武家屋敷通り線に立っていた電柱の移設や、排水施設の地下埋設が行われました。さらに、周囲の景観と調和するため、路面舗装には名勝庭園の庭土と同じ色合いのシラス色と呼ばれる特殊舗装が施されています。

受賞歴と文化財指定

武家屋敷通りは、1986年(昭和61年)に旧建設省と「道の日」実行委員会が制定した「日本の道100選」に選ばれました。また、同年には昭和61年度手づくり郷土賞(人と風土が育てた家並)を受賞し、その景観と歴史的価値が評価されています。さらに、並行して流れる「清流溝と池」は昭和63年度手づくり郷土賞(やすらぎとうるおいのある歩道)を受賞しています。

知覧武家屋敷庭園の名勝指定

1975年(昭和50年)6月16日、知覧武家屋敷庭園保存会が発足し、その後の文化財指定に向けた保護活動が進められました。1981年(昭和56年)2月23日には、7つの庭園が「知覧麓庭園」として国の名勝(史跡名勝天然記念物)に指定されました。鹿児島県内では、仙巌園(磯庭園)に続いて2番目の名勝指定です。

1981年(昭和56年)11月30日には、武家屋敷群の18.6ヘクタールが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、歴史的な価値が広く認識されることとなりました。これにより、知覧の武家屋敷通りは地域の文化財としての地位を確立し、観光地としても多くの人々に親しまれるようになりました。

知覧武家屋敷庭園の特徴

知覧武家屋敷庭園は、母ヶ岳(標高517m)を借景として1700年代から1800年代初めにかけて作られたもので、7つの庭園が名勝指定を受けています。これらの庭園のうち、森氏庭園は池泉式庭園であり、それ以外の6庭園は枯山水式庭園となっています。また、琉球庭園の手法が用いられているという指摘もあり、庭園のデザインには独特の特徴があります。

各庭園の紹介

知覧武家屋敷庭園には、以下のような庭園があります:

その他、平山ソヨ庭園なども存在し、それぞれが知覧の歴史と文化を今に伝えています。

ドキュメンタリーとメディアでの紹介

知覧の武家屋敷通りは、その歴史的価値からメディアでも取り上げられています。1976年6月14日には、NHKのドキュメンタリー番組「新日本紀行」で「武家屋敷ずまい〜鹿児島県・知覧町〜」が放送されました。この放送を通じて、知覧の魅力が全国に広まり、観光地としての知名度も一層高まりました。

知覧の武家屋敷通りは、歴史と文化が織りなす貴重な遺産として、現在でも多くの観光客を魅了しています。南九州市を訪れる際には、ぜひこの美しい歴史的街並みを散策して、その魅力を実感してみてください。

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名称
武家屋敷通り(南九州市)
(ぶけやしき どおり)

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