紫尾神社は、鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾に位置する神社で、旧くは「紫尾山三所権現」と称されていました。祁答院七ヶ郷(山崎、大村、黒木、佐志、藺牟田、宮之城、鶴田)の総社として崇敬され、また北薩摩地域の総鎮守として尊ばれてきました。
紫尾神社は、出水市高尾野町唐笠木の紫尾神社とともに国史見在社の論社とされ、かつては旧県社の地位にありました。神社の拝殿の下からは紫尾温泉の源泉が湧き出しており、「神の湯」としても知られています。
紫尾神社の創建は約1500年前、空覚上人によるものと伝えられています。鎌倉時代の源実朝が奉納したとされる鏡三面が御神体であり、古くから祁答院七ヶ郷の総社として崇敬されていました。島津氏の時代には藩主からも篤く信仰され、明治時代には県社として繁栄しました。
紫尾神社の祭神は、瓊瓊杵命、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合命の三柱です。鏡三面を御神体とし、この鏡は鎌倉幕府の将軍であった源実朝が奉納したものとされています。また、かつては熊野権現と同じく、伊弉冉尊、事解男命、速玉男命を祭神としていたという説もあります。
紫尾神社の起源は、第8代孝元天皇の時代に遡ると言われています。当時、紫尾山の山頂に熊野権現(伊弉冉尊、事解男命、速玉男命)が祀られ、「紫尾山三所権現」として創祀されました。
また、第26代継体天皇の時代に修行をしていた空覚上人の夢に現れた神の啓示を受け、紫尾山に社殿が建てられたという伝承もあります。この時、山頂近くには「上宮権現」と呼ばれる小さな社が建てられました。
紫尾山には「上宮」と「下宮」という二つの社がありました。上宮は山頂近くにありましたが、暴風による倒壊や祭祀の不便さから麓に下宮が建立されました。この下宮が現在の紫尾神社です。出水市高尾野町唐笠木の紫尾神社も分祀されたものとされ、両神社は共に紫尾山を信仰の対象としています。
紫尾神社は鎌倉や室町の幕府、さらには薩摩藩主島津氏からも崇敬されていました。天正年間には出水領主島津義虎公によって神田八町歩が献上され、毎年11月24日が祭日と定められました。これにより、貴賎を問わず多くの人々が参拝に訪れるようになり、出水高尾野にも勧請が行われました。
また、鉱山信仰としても有名であり、永野金山の発見を神託したとされ、鉱山関係者を始めとする多くの参拝者が紫尾神社を訪れました。現在でも、初詣には約1万人が参拝に訪れ、交通不便な場所にもかかわらず、多くの人々に親しまれています。
紫尾温泉は鹿児島県薩摩郡さつま町に位置する温泉地で、泉質は単純硫黄泉です。温泉は「神の湯」とも呼ばれ、源泉は紫尾神社の拝殿の下から湧き出しています。このため、紫尾温泉は神社と深い繋がりを持つ場所として知られています。
紫尾温泉には、数軒の旅館と共同浴場である「紫尾区営大衆浴場」があります。ひっそりとした湯治場の雰囲気が漂い、訪れる人々に安らぎを提供しています。温泉街は小規模ながらも、地域の人々や観光客に愛され続けています。
紫尾温泉の歴史は古く、南北朝時代の1384年頃には既に温泉が存在していたとされています。江戸時代の「三国名勝図絵」や明治時代の「薩隅日地理纂考」にも記載があり、地域の名湯として広く知られていました。
紫尾温泉の名物として、渋柿を温泉の湯で渋抜きした「あおし柿」があります。「あおす」とは鹿児島弁で渋を抜くことを意味し、この温泉の湯を使った特別な方法で作られる柿は、多くの人に親しまれています。
紫尾神社と紫尾温泉は、歴史と伝統に彩られた場所であり、地域の信仰と自然の恵みが調和しています。紫尾神社は、古くから人々に崇敬され続け、現在でも多くの参拝者を迎えています。紫尾温泉もまた、神社との深い繋がりを持ち、訪れる人々に安らぎと癒しを提供しています。