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黒之瀬戸大橋

(くろのせと おおはし)

黒之瀬戸大橋は、鹿児島県阿久根市と出水郡長島町の間にある黒之瀬戸(日本三大急潮)に架かる橋で、自動車やバイクの通行が可能な道路と歩行者専用の通路が設けられています。1974年4月9日、日本道路公団による一般有料道路として供用が開始されましたが、1990年9月21日に無料開放されました。

地理

黒之瀬戸の概要

黒之瀬戸、または黒之瀬戸海峡は、阿久根市脇本と長島の間に位置する海峡です。全長は約2キロメートルで、幅は広い場所で約1キロメートル、最も狭い場所は橋が架かっている梶折鼻付近で約350メートルです。潮流は最大で8ノットから10ノット程度の速さに達し、引き潮の時には八代海から黒之瀬戸海峡を通じて東シナ海に海水が流れ、満ち潮の際には東シナ海から八代海へと逆流します。このため、昔から急流として知られ、万葉集にも詠まれるなど、海上交通の難所として長島の産業と経済の発展に影響を与えてきました。

架橋前史

黒之瀬戸を渡る渡船の歴史

黒之瀬戸を横断する渡船は、昭和初期まで個人経営で運営され、不定期に民間の船を借りて渡航していました。1896年(明治29年)の記録によれば、当時の渡し賃は4銭2厘でした。1929年(昭和4年)には木造の5トン動力船「長島丸」が県によって建造されましたが、県道に有料渡船は不適切だという声が上がり、1931年(昭和6年)5月からは地元の請負事業として県から補助金を受けて運航されるようになりました。1935年(昭和10年)には第二長島丸(木造12トン)が建造され、1945年(昭和20年)頃まで運航されましたが、戦争の激化と船の老朽化により1946年(昭和21年)末まで運航は中断し、漁船で人や荷物を運ぶ代替輸送が行われました。

県営渡船の導入

1946年(昭和21年)12月13日に告示328号により県営に移管され、再び渡船が運航されるようになりました。県営渡船の発着地は長島最南端にある瀬戸港で、対岸の黒之浜港との間を結んでいました。1958年(昭和33年)8月には初のフェリー「黒之瀬戸丸」(木造47トン)が就航し、1962年(昭和37年)には鋼製74.59トンの第二黒之瀬戸丸が、1968年(昭和43年)には鋼製78.07トンの第三黒之瀬戸丸が投入されました。1969年(昭和44年)には木造79.42トンの第一黒之瀬戸丸が投入され、翌年には旧黒之瀬戸丸が売却されました。

架橋運動の始まり

渡船の運航は大型船の投入や運航回数の増加により昭和30年代末には1日21便に達していましたが、自動車の急増と共に車両の積み残しが常態化し、通航車両が多い時には2〜3時間待つ状況でした。これを受けて、1963年(昭和38年)10月24日には阿久根市、東町、長島町の3者で黒之瀬戸架橋促進期成同盟が結成され、架橋運動が開始されました。

架橋計画の実現

繰り返しの陳情の結果、1966年(昭和41年)には予備検討路線に指定され、日本道路公団から複数回の調査団が現地を訪問しました。当時の内閣総理大臣佐藤栄作への陳情も行い、1969年(昭和44年)1月14日に年内の着工内定が報じられましたが、実際の建設開始は翌1970年(昭和45年)4月1日で、阿久根市脇本に工事事務所が開設されてからとなりました。事業主体は日本道路公団黒之瀬戸大橋工事事務所でした。

建設の詳細

設計の概要

架橋を検討した黒之瀬戸の最も狭い部分は幅が約350メートルで、海底は九州本土側が約20度、長島側が約30度の傾斜になっており、最も深い部分で約60メートルの水深があります。地質は安山岩、火山角礫岩、火山礫凝灰岩の3種類からなり、安山岩は構造物の支持層として利用できるほどの量がなく、橋脚は主に火山角礫岩、本土側の橋台は火山礫凝灰岩を支持層として建設されました。

ルートと橋梁形式の選定

建設ルートとしては、Aルート、Bルート、Cルートの3種類が検討されました。Aルートは当初事業認可時に提案されていたもので、橋脚を水深2〜3メートルの位置に設ける計画でした。Bルートは海峡の最短部分に架けるもので、橋脚を水際ぎりぎりに設けることで海中作業を不要とする案でした。Cルートは水深と潮流の流速を考慮し、技術的に施工可能な場所まで海中に橋脚を設置する案で、上部工のバランスを取って鋼重の軽減を図るものでした。

橋梁形式としては、海底や潮流の悪条件により橋脚を中央部に設けることが困難であったため、300メートル以上の長い径間を設定する必要がありました。このため、三径間連続トラス、プレスドアーチ、三径間πラーメン・ディビダーク橋、吊り橋の4種類の形式が検討されました。最終的に、Cルートで下路式三径間連続トラスを架ける案が採用され、橋長は502メートル、径間割は101 + 300 + 101メートルとなりました。

橋の規格と建設費

黒之瀬戸大橋の規格は1等橋TL-20、道路規格は第3種第3級、設計最高速度は50 km/h、幅員は車道部6.5メートル、歩道部は0.75メートル×2で、合計9.3メートルの幅があります。縦断勾配は両側150メートル区間が1.5パーセントの上り勾配で、橋の中央200メートル部分は放物線を描いています。橋の建設費用は、上部工に10億円、下部工に6億円、舗装その他に2億3000万円の総額18億3000万円が見込まれていました。

工事の進行

1971年(昭和46年)12月23日に橋の工事計画が発表され、1972年(昭和47年)5月20日に起工式が行われました。下部工の工事は同年5月から翌年の12月にかけて行われ、上部工の架設は1973年(昭和48年)1月に開始されました。桁架設は同年9月に完了し、同年末までに塗装工事、車道と歩道の舗装工事が実施されました。

完成と開通

1974年(昭和49年)3月14日に開通式が挙行されました。開通時は有料道路として供用が開始され、通行料金は普通車で500円でしたが、1990年(平成2年)9月21日に無料開放され、現在に至っています。開通により、県営渡船の代替として新たな交通手段が提供され、阿久根市と長島町の往来が格段に便利になりました。

Information

名称
黒之瀬戸大橋
(くろのせと おおはし)

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鹿児島県