菅原神社は、鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川にある神社で、「藤川天神」とも称されています。近代社格制度において郷社に指定されており、学問の神として知られる菅原道真を祀っています。
菅原神社は、大宰府に左遷された菅原道真がこの地に隠棲し、没したという伝説が残る場所です。学問の神として崇敬を集めており、特に受験シーズンには多くの参拝者が訪れます。境内には「藤川天神の臥龍梅」と呼ばれる国の天然記念物に指定された梅の木があります。
主祭神は、菅原道真です。
藤川天神は、菅原道真が大宰府に左遷された後、この地に隠れ住んだ跡地に創建されたと伝えられています。藤川はかつて太宰府天満宮(安楽寺)の領地であったとされ、藤川天神が鎮座する「北野」という地名も北野天満宮に由来すると考えられています。しかし、鹿児島大学の学者である日隈正守は、藤川が太宰府天満宮の直轄領ではなく、薩摩国分寺領であった可能性を指摘しています。
戦国時代、豊臣秀吉と島津氏との間で行われた九州平定の際、藤川天神の社殿や神宝、文書が焼失しました。そのため、藤川天神の由来についての詳細は不明となっています。しかし、正保4年(1647年)に薩摩藩主の島津光久の命によって再興されたことが棟札に記録されています。
文化12年(1815年)、薩摩藩主島津重豪の命により、藤川天神の修築改造が行われました。天保8年(1837年)には、歌人の八田知紀が藤川天神を訪れ、「梅が香も かたじけなさも身にしみて おぼえず袖に 散る涙かな」という歌を詠んでいます。
また、薩摩藩の地誌である「三国名勝図会」にも、藤川天神が絵図付きで掲載されています。この地誌では、菅原道真が薩摩に隠れ住んだ場所として描かれ、現在の藤川天神の社地が「北野」と呼ばれていたことが記録されています。
明治時代に入り、1875年(明治8年)に大修築が行われました。また、1910年(明治43年)には、藤川にある現王神社などが合祀され、菅原神社の摂末社となりました。
境内には二の鳥居の脇に、菅原道真の墓と伝えられる塚があります。かつては大きな松の木が立っていましたが、台風によって倒れ、現在は小さな杉が植えられています。この塚は鳥居の北側の参道にあり、菅原道真の墳墓とされています。
境内には1910年(明治43年)に菅原神社に合祀された現王神社が本殿に隣接して鎮座しています。現王神社は、藤川天神の摂末社として、地域の人々からも信仰を集めています。
境内の入口付近には、西郷隆盛の愛犬として知られる「ツン」の銅像があります。ツンは元々藤川村原(現在の東郷町藤川原地区)の百姓の家で飼われていた薩摩犬であり、この藤川天神で馬1頭と引き換えに西郷隆盛に譲渡されました。銅像は中村晋也の作で、平成2年(1990年)に除幕されました。
藤川天神の臥龍梅(ふじかわてんじんのがりゅうばい)は、菅原神社の境内にある臥龍梅群です。この梅は、1941年10月3日に史蹟名勝天然記念物保存法に基づき、国の天然記念物に指定されました。菅原道真が手植えしたと伝えられる1株が繁殖したもので、現在では約150本が境内に広がっています。そのうち50本以上は、龍が伏したように幹が地面を這う姿から「臥龍梅」と呼ばれています。梅の開花時には多くの花見客が訪れ、その美しさを楽しんでいます。
薩摩川内市街からは国道267号と鹿児島県道46号阿久根東郷線を通り、車で約30分で到着します。