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佐多旧薬園

(さた きゅう やくえん)

佐多旧薬園は、鹿児島県肝属郡南大隅町佐多伊座敷にある、かつて薩摩藩が直営していた植物園の跡地です。江戸時代の植物園の中で、現存する数少ない史跡の一つとして知られています。

概要

佐多旧薬園は、薩摩藩の25代当主であった島津重豪(しまづしげひで)の家老、新納時升(にいろときのぼり)によって宝暦年間(1751-1764年)頃に設立されたとされています。島津重豪は「蘭癖大名」として知られ、向学心と藩財政の強化のため、さまざまな植物園事業を推進しました。しかし、佐多旧薬園の正確な設置年月日は記録が残っておらず、詳しくはわかっていません。

佐多薬園の役割と特徴

佐多旧薬園は、琉球を経由して輸入された南方の植物が多数植えられており、リュウガンやレイシ、アカテツ、オオバゴムノキなどの熱帯植物が繁茂していました。江戸時代の『三国名勝図会』には、「伊座敷村は藩の最南端に位置し、寒さに弱い植物がよく成長するので、薬園を設置して珍しい薬草や果物を植えた。この薬園は日本に生育していない草木が成長するので真に貴重な薬園である」と記されています。

三薬園の一つとして

佐多旧薬園は、鹿児島城近くの「吉野薬園」、そして最も古いとされる「山川薬園」と共に「三薬園」として知られています。これらの薬園は、藩の財政に大きく貢献しましたが、廃藩置県により廃止されました。山川と吉野の薬園はその後ほとんど姿を消しましたが、佐多旧薬園は現在も藩政時代の植物がそのまま残っており、30アールの敷地内には江戸時代に植えられた植物が今もなお繁茂しています。そのため、1932年(昭和7年)10月9日に国の史跡として指定されました。

植物学的な重要性

園内のリュウガンやレイシは、江戸時代に植えられた母木の子孫であり、植物学的にも非常に重要なものとされています。また、島津斉彬が篤姫に、この薬園のリュウガンを蜂蜜漬けにして贈ったとされる逸話も残っています。広さは約3,000㎡で、薬園の中で唯一当時の姿を残している点で特に貴重です。

交通アクセス

佐多旧薬園へのアクセスには、垂水市の垂水港から「佐多・大泊」行きの路線バスを利用し、「薬草園前」で下車するとすぐ目の前です。所要時間は約70分ですが、交通が不便なため、自動車の利用が推奨されます。国道269号線を南下し佐多岬方向へ進むと、園の近くに無料駐車場があります。

見学の案内

現在、佐多旧薬園は無料で一般に公開されており、園内の散策が可能です。歴史的な価値が高く、特に植物学や江戸時代の藩政に興味のある方には見逃せない場所です。薩摩藩の薬園事業の一端を知ることができる貴重な史跡として、多くの観光客に親しまれています。

Information

名称
佐多旧薬園
(さた きゅう やくえん)

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