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鹿屋駅

(かのやえき)

鹿屋駅は、かつて鹿児島県鹿屋市共栄町に存在していた日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅であり、1987年(昭和62年)3月14日の大隅線廃止に伴い廃駅となりました。この駅は鹿屋市の中心駅として機能していました。

歴史

開業と初期の運行

鹿屋駅は1915年(大正4年)7月11日に、南隅軽便鉄道の駅として開設されました。南隅軽便鉄道は当初、鹿屋を海岸と結び、鹿児島市など他地域へのアクセスを改善することを目的としていました。開業時には762mm軌間の軽便鉄道で、他の鉄道と接続しない孤立した路線でした。当初の駅は現在の鹿屋市向江町付近に位置していました。

延伸と国有化

その後、鉄道は内陸部へと延伸し、1920年(大正9年)12月23日に高山まで開通。鹿屋駅は折り返し運転を行う構造となりました。大隅鉄道はさらに古江から串良までの営業を拡大しましたが、1935年(昭和10年)6月1日に国有化され、国鉄古江線の駅となりました。

改軌工事とスイッチバック解消

国鉄は志布志駅から西に線路を延伸し、古江線との接続を進め、1938年(昭和13年)10月10日に1,067mm軌間への改軌工事が完了しました。これに伴い、鹿屋駅は移転し、スイッチバック方式の解消が図られました。1972年(昭和47年)9月9日には古江線が大隅線に改称され、鹿屋駅は大隅線の一駅となりましたが、1987年(昭和62年)3月14日に大隅線が廃止され、廃駅となりました。

年表

駅構造と周辺の変遷

鹿屋駅は大隅線の中心的な駅であり、志布志起点32.0kmに位置していました。廃止時点では1面2線の島式ホームを有し、列車交換が可能な駅でした。また、駅には多くの側線があり、廃止まで直営駅として運営されていました。特徴的なのは、駅の北方で線路がほぼ180°カーブするΩ状の線路配置でした。この配置は、かつてのスイッチバック方式を解消するためのものでした。

Ω状線路の背景

1938年(昭和13年)の改軌・移転以前は、鹿屋駅はスイッチバック方式で運行されていました。移転後はΩ状の線路配置により、進行方向の変更が不要となり、路線の効率が向上しました。大隅線の廃止後も、これらの線路跡は多くが道路化され、地図上でその跡を見ることができます。

現在の状況

鹿屋市鉄道記念館

鹿屋駅の跡地には現在、鹿屋市役所が移転しています。また、隣接地には1988年(昭和63年)9月28日に開館した鹿屋市鉄道記念館があり、国鉄キハ20系気動車や駅名標などが保存されています。2016年(平成28年)9月30日には記念館の改装オープン記念式典が行われ、「鹿屋驛」の愛称が新たに付けられました。また、2015年(平成27年)に閉館した吾平町鉄道資料館の展示物も加わり、見学者に鹿屋駅の歴史を伝えています。

鹿屋市鉄道記念館の展示内容

記念館には、鉄道の歴史を物語る様々な展示物が保存されており、国鉄キハ20系気動車をはじめ、運賃表や駅名標などの資料が展示されています。これにより、鹿屋市や訪れる観光客に対して、かつての鉄道の歴史や文化を伝える役割を果たしています。

隣接する駅

鹿屋駅の隣接駅は以下の通りです。

1938年(昭和13年)10月10日の改軌・移転以前は、大隅川西駅と鹿屋駅の間に下田崎駅、鹿屋駅と大隅野里駅の間に田崎駅が存在していました。

まとめ

鹿屋駅は、鹿児島県鹿屋市の交通の要所として、多くの人々に利用された歴史ある駅でした。大隅線の廃止に伴いその役目を終えた後も、鹿屋市鉄道記念館としてその歴史と文化を今に伝えています。駅跡地は地域の発展とともに再利用され、鉄道の記憶は新たな形で地域社会に根付いています。

Information

名称
鹿屋駅
(かのやえき)

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