枇榔島は、鹿児島県志布志市志布志町帖に属し、志布志湾に所在する島です。
枇榔島は、志布志港から約4キロメートルの沖合に位置し、志布志湾のほぼ中央にあります。島の周囲は約4キロメートル、面積は17.8ヘクタール、最高地点の標高は83メートルです。島の地質は新生代初期の砂岩層と頁岩砂岩層で構成されています。
島の名前の由来であるビロウが島全体に生い茂り、独特の景観を形成しています。島内には、モクタチバナ、シラタマカズラ、クワズイモなど200種類近くの亜熱帯性植物が自生し、豊かな植生が見られます。この植生は、居住に適さなかったことや、枇榔神社の社林として伐採が行われなかったために、自然の状態が保たれたとされています。
特に南側斜面には樹齢300年から400年のビロウの古木が密生しており、これらの植物群落は「枇榔島亜熱帯性植物群落」として1921年(大正10年)3月3日に国の天然記念物に指定されました。さらに、1956年(昭和31年)7月19日には文化財保護法に基づき、特別天然記念物に指定されました。
島内の山腹には、和銅年間(8世紀初頭)に創建されたと伝わる枇榔神社があります。この神社は島の守護神として信仰され、長い歴史を持っています。
第二次世界大戦の末期、アメリカ軍によるオリンピック作戦として南九州への上陸作戦が計画されていました。志布志湾もその対象地域の一つであり、日本軍はこの計画を察知し、防衛陣地を築きました。枇榔島には10センチカノン砲2門と歩兵部隊が配置され、訓練が行われました。この時期に建設された塹壕が、現在でも島内に残されています。