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新田神社(薩摩川内市)

(にった じんじゃ さつませんだいし)

新田神社は、鹿児島県薩摩川内市宮内町に鎮座する神社です。薩摩国の一宮として古くから崇敬を集めており、旧社格は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。

神社の概要

新田神社は、かつて「八幡五所別宮」の一つとして八幡神を祀っていたことから、「新田八幡宮」「八幡新田宮」「川内八幡宮」「一宮八幡」「新田明神」などとも呼ばれていました。社殿の背後にある墳墓は、1874年(明治7年)に宮内省により天津日高彦火邇邇杵尊(ニニギノミコト)の陵墓とされる可愛山陵と認定されました。

祭神

新田神社の主祭神は以下の通りです:

なお、江戸時代までは応神天皇、神功皇后、武内宿禰の八幡三神を祀っていました。

神社の歴史

創建と伝承

社伝によれば、天津日高彦火邇邇杵尊(ニニギノミコト)は鹿児島県の加世田市(現在の南さつま市)から川内の地に到来し、この地に高殿「千台(センノウテナ)」を築きました。川内(センダイ)の名はこの「千台」から由来しているとされています。ニニギノミコトが亡くなった後、現在の可愛山陵に墓が造られ、その御霊を祀ったのが新田神社の始まりです。また、神社名の「新田」は、ニニギノミコトが川内川から水を引いて新しく田を作ったことに由来すると伝えられています。

古文書と創建年代

新田神社のことが記された最古の史料は、永万元年(1165年)の新田神社文書に収録されている「寺家政所下文案」です。この文書には「当宮自再興経三百余歳云々」とあり、永元から300年前の清和天皇貞観7年(865年)に再興されたことが明らかです。また、他の史料には「聖武天皇神亀2年(725年)創立」とする三国神社伝記(1808年)や、「陽成天皇元慶6年(882年)薩州新田宮建立」とする三国名勝図会(1843年)なども存在します。

八幡神の勧請と新田宮

承平天慶の乱(平将門・藤原純友の乱)の際に国家鎮護を祈願し、九州の5ヶ所に石清水八幡宮から勧請された八幡五所別宮の一つが新田神社です。このことは新田宮所司神官等解文(1247年)や肥後藤崎八幡宮社祠神官等解文(1357年)などの史料に記されています。この勧請が承平年間(931-938年)に行われたことから、平安前期にはすでに新田神社が当地に存在していたことが分かります。

移転と合祀の伝承

神代三陵異考(1875年)によれば、新田宮は現在の地から東に7〜8町(約800m)の川内川の向かいにある隈之城郷宮里村に鎮座していたとされます。ここはニニギノミコトが最初に宮居した場所であり、その後、都八幡、宮ヶ原、地頭館址、屋形ヶ原と移され、最終的に神亀山に遷座されました。

また一説では、ニニギノミコトを主神とする新田宮が神亀山に、石清水八幡宮祠官紀氏の勧請による応神天皇を主神とする八幡宮が隈之城郷宮里村に存在し、薩摩国府が新田宮を主社とすべく両社を合祀して「八幡新田宮」としたとも言われています。この説に基づけば、宮里にあったのは八幡宮であり、新田宮はそれとは別に神亀山にあったことになります。

若宮八幡と志奈尾神社

隈之城郷宮里村にあった若宮八幡はニニギノミコトの宮居跡とされ、志奈尾神社に合祀されました。志奈尾神社は日本三代実録に「貞観2年3月20日、薩摩國従五位志奈毛神に授五位上」と記されている国史見在社です。明治43年には無格社若宮神社が合祀され、これが若宮八幡とされています。伝承によると、新田神社が姉神、志奈尾神社が妹神とも言われますが、詳細な由来は明確ではありません。

神社の発展と移転

神亀山への遷座

現在、新田神社は神亀山の頂上にありますが、『薩隅日地理纂考』(1871年)には「山上には、はじめ山陵だけがあって宮殿はなかった」と記されています。この記述は、古代の神奈備山信仰に類するものであり、山頂にある聖地を麓から遥拝していたことを示唆しています。高倉天皇の承安3年(1173年)に社殿が焼失し、その後、安元2年(1176年)に山頂に遷座されました。

『延喜式』と新田神社

新田神社は『延喜式』には記載されていませんが、これは当初の地位が低かったからではなく、陵墓にある神社としての特異性によるものと考えられます。新田神社は、あくまで山陵としての位置づけが強く、神社としての役割は付随的なものであったため、記載されなかったとされています。同様に、『延喜式』に記載されていない神社として、福岡県の香椎宮が挙げられますが、これも古代には霊廟としての位置づけであったためです。

陵墓としての新田神社

新田神社は、可愛山陵という天津日高彦火邇邇杵尊の陵墓に付随する形で存在しています。そのため、一般の神社とは異なり、『延喜式』に記載されることはありませんでした。このような性格を持つ神社は他にも存在し、大阪府にある例などが挙げられますが、いずれも陵墓としての位置づけが強いため、神社としての地位は相対的に低く見られています。

新田神社は、現在も多くの参拝者を集める一方、その歴史や由来を深く知ることで、日本の古代信仰や陵墓との関係について理解を深めることができる場所でもあります。

Information

名称
新田神社(薩摩川内市)
(にった じんじゃ さつませんだいし)

出水・川内・串木野

鹿児島県