ウィルソン株は、鹿児島県屋久島にある有名な屋久杉の切り株です。この株は、歴史的に重要な木材として、豊臣秀吉の命令で伐採されました。具体的には、京都にある方広寺大仏殿(京の大仏)の造営のために伐採されたとされ、一説では大坂城の造営にも使用されたと言われています。株の内部は大きな空洞となっており、清らかな泉が湧き出して小さな流れを作っています。
ウィルソン株の伐採は、豊臣秀吉が1587年に九州を制圧した後、島津義弘に命じて行われたものです。屋久島の木材は、当時の重要な建築物に使用されるため、1590年頃に小豆島から大型船11隻を使って大坂へ運ばれたと伝えられています。この伐採された屋久杉の中で、ウィルソン株は特に有名なものの一つです。株の胸高周囲は13.8メートルにも及び、その巨大さが伐採当時の樹齢や力強さを物語っています。
ウィルソン株の名前は、イギリスの植物学者であるアーネスト・ヘンリー・ウィルソン博士に由来しています。1914年に、彼がハーバード大学樹木園のために日本を訪れた際に、この切り株を調査し、西洋文化圏に紹介しました。ウィルソン博士は日本の植物に関心を持ち、特に桜の品種を西洋に伝えた功績があります。彼の調査から52年後、1966年には縄文杉が発見され、屋久島の屋久杉への関心がさらに高まりました。
ウィルソン株は胸高周囲が13.8m、樹齢3,000年とされる立派な屋久杉で、訪れる人々にとって特別な体験を提供します。株の中には空洞があり、その一部から空を見上げると、独特の風景が広がります。この光景は、訪れた人々に「ハート形の空」として知られており、自然と神秘が融合した場所と言えるでしょう。また、株の内部には清水が湧き出ており、小さな祠(ほこら)が設置されています。これにより、ウィルソン株は単なる自然の遺物ではなく、神聖な場所としても親しまれています。
根元には三本の小さな杉が育っており、「切り株更新」と呼ばれる現象が見られます。これは巨木が伐採された後に次世代の杉が育っていく様子を指します。
ウィルソン株は、その巨大さと複雑な枝ぶりから、全ての部分が使用されたわけではありません。特に先端部分は、伐採後に使い物にならないと判断され、近くの沢に放置されました。この放置された部分は、今でもそのまま残っており、歴史の一端を垣間見ることができます。
ウィルソン博士は、ウィルソン株の発見に加えて、日本の植物に関する貴重な研究を行いました。1916年には「The Cherries of Japan(日本の桜)」や「The Conifers and Taxads of Japan(日本の針葉樹とイチイ科)」という書籍を出版し、日本の植物を西洋に広めました。これにより、ウィルソン博士は日本と西洋の植物学における架け橋として知られるようになりました。
ウィルソン株の周囲は、自然保護の観点から立ち入り禁止区域に指定されていますが、内部には自由に入ることができ、その神秘的な空間を体験することが可能です。観光客にとっても、屋久島を訪れた際にぜひ訪れるべきスポットの一つです。
ウィルソン株は、屋久島の他の観光スポットとも密接に関連しています。特に縄文杉や白谷雲水峡といった自然豊かな場所と並んで、ウィルソン株も訪問者に強い印象を与える場所です。屋久島の豊かな自然環境は、多くの観光客に感動を与え、自然の力を感じさせます。
ウィルソン株を訪れる際には、しっかりとした装備と時間を確保することが大切です。自然の中を散策することで、歴史的な切り株の魅力や屋久島の自然の美しさを存分に感じることができるでしょう。特に、晴れた日には株の内部から見上げる空の景色が一層美しく、訪問者に忘れられない体験を提供してくれます。
白谷雲水峡から徒歩で180分